青木治親
青木 治親 | |||||||||||||||||||||||||||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
国籍 | 日本 | ||||||||||||||||||||||||||||||||
生年月日 | (1976-03-28) 1976年3月28日(48歳) 群馬県北群馬郡子持村 | ||||||||||||||||||||||||||||||||
|
青木 治親(あおき はるちか、Haruchika Aoki, 1976年3月28日 - )は、群馬県子持村(現渋川市)出身のオートレース選手(川口オートレース場所属)。元ロードレースライダーで1995年・1996年のロードレース世界選手権(WGP)125ccクラスチャンピオン。
兄の宣篤、拓磨もロードレースライダーとして活躍し、「青木三兄弟」として有名な存在である。
略歴
1982年頃からポケバイを始める。16歳になった1992年にロードレースデビューし、地方選手権で38戦30勝。同年、鈴鹿8時間耐久ロードレース(鈴鹿8耐)併催の鈴鹿4時間耐久ロードレースを藤原克昭とのコンビで制する。
国際A級特別昇格した1993年に、各国選手権等で上位ランキング獲得者にのみ認められてきたWGPフルエントリーが、この年よりチーム推薦でも認められる制度ができたため、若井伸之の移籍に伴い空いたモトバムから125ccクラスへのフル参戦が実現した。1995年に移籍したアリー・モレナー・レーシングで、1995年・1996年と、2年連続で125ccクラスチャンピオンを獲得。
1997年には250ccクラス、1999年には500ccクラスにステップアップする。2000年にはスーパーバイク世界選手権に転じるが2001年には500ccクラスに復帰し、4気筒勢が大半を占める中、非力な2気筒NSR500Vで、ベストプライベーター賞を獲得。翌年2002年、ワークスマシンNSR250撤退後の次期マシンとなる、RS250RWの先行開発を担い250ccクラスに参戦するも結果に結びつかず、翌年2003年、WGPからの撤退を余儀なくされる。
一方、オートレース(日本小型自動車振興会)側では、1999年(27期)の選手募集時より、WGPや全日本ロードレース選手権等で優秀な成績を収めたものに限り通常23歳以下の年齢制限を28歳以下に緩めるほか、試験の一部を免除するといった特例枠を設けるようになった。オートレースの選手募集は2年に1度しか行われないため、当時のルールでは2003年の第29期選手募集が27歳の治親にとって最後のチャンスとなることから転向を決意した(なお現在は年齢制限の上限は撤廃されている)。オートレース選手養成所に第29期生として入学し、翌2004年8月1日にオートレース選手としてデビューした。特例枠で選手となったのは治親が初めてである。
2005年には川口オートレース場を所有する川口市のバックアップを受けたオートレース・ハルクプロより、現役オートレース選手として初めて鈴鹿8耐に参戦(監督は川口オートレース所属選手の森且行)。安田毅史とのペアで総合3位・JSB1000クラス優勝を果たし、ロードレースにおいてもその腕の健在ぶりを見事に見せつけた。
2006年7月19日に川口オートレース場で開催された第30回日刊スポーツキューポラ杯争奪戦でGI初優勝。この優勝は29期生初のGI優勝である。その後も上位クラスであるS級で活躍を続け、2011年6月19日に浜松オートレース場で開催された特別GI共同通信社杯プレミアムカップで5年ぶりとなるGI優勝を果たした。
略歴(ロードレース)
- 1982年 - 初めてポケバイに乗る
- 1983年 - ポケバイレース開始
- 1986年 - ミニバイクレース開始
- 1992年 - 鈴鹿4時間耐久ロードレース優勝(藤原克昭/NSR250R)
- 1993年 - 国際A級特別昇格、ロードレース世界選手権GP125 ランキング14位
- 1994年 - ロードレース世界選手権GP125 ランキング12位
- 鈴鹿8時間耐久ロードレース7位(岩橋健一郎 / ウルトラマンパワード桜井ホンダ / RVF/RC45)
- 1995年 - ロードレース世界選手権GP125 チャンピオン
- 鈴鹿8時間耐久ロードレースリタイヤ(青木宣篤 / ウルトラマンRT桜井ホンダ / RVF/RC45)
- 1996年 - ロードレース世界選手権GP125 チャンピオン
- 鈴鹿8時間耐久ロードレース7位(青木宣篤 / ウルトラマンRT桜井ホンダ / RVF/RC45)
- 1997年 - ロードレース世界選手権GP250 ランキング8位
- 鈴鹿8時間耐久ロードレース(鎌田学 / ウルトラマンレーシング / RVF/RC45)
- 1998年 - ロードレース世界選手権GP250 ランキング6位
- 鈴鹿8時間耐久ロードレース9位(鎌田学 / ウルトラマンレーシング / RVF/RC45)
- 1999年 - ロードレース世界選手権GP500 ランキング15位
- 鈴鹿8時間耐久ロードレース33位(小西良輝 / TSR / AC90M)
- 2000年 - スーパーバイク世界選手権 ランキング18位
- 2001年 - ロードレース世界選手権GP500 ランキング17位
- 鈴鹿8時間耐久ロードレース13位(前田淳 / CBR900RR)
- 2002年 - ロードレース世界選手権GP250 ランキング14位
- 2003年 - 鈴鹿8時間耐久ロードレース7位(出口修 / DDBOYS / CBR954RR)
- 2005年 - 鈴鹿8時間耐久ロードレース総合3位・JSB1000クラス優勝(安田毅史 / オートレース・ハルクプロ / CBR1000RR)
※括弧内はコンビを組んだライダー名。
ロードレース世界選手権
- 凡例
- ボールド体のレースはポールポジション、イタリック体のレースはファステストラップを記録。
年 | クラス | マシン | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12 | 13 | 14 | 15 | 16 | 17 | 18 | 順位 | ポイント |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1993年 | 125cc | ホンダ | AUS 14 | MAL 11 | JPN 7 | SPA 19 | AUT 16 | GER 20 | NED Ret | EUR 10 | SMR Ret | GBR 18 | CZE Ret | ITA 13 | USA 5 | FIM 13 | 14位 | 39 | ||||
1994年 | 125cc | ホンダ | AUS 17 | MAL 10 | JPN 17 | SPA 14 | AUT 25 | GER | NED 12 | ITA 9 | FRA 12 | GBR 13 | CZE 19 | USA 4 | ARG 12 | EUR 3 | 12位 | 59 | ||||
1995年 | 125cc | ホンダ | AUS 1 | MAL 18 | JPN 1 | SPA 1 | GER 1 | ITA 1 | NED 5 | FRA 1 | GBR Ret | CZE 2 | BRA 3 | ARG 14 | EUR 1 | 1位 | 224 | |||||
1996年 | 125cc | ホンダ | MAL 2 | INA 2 | JPN 2 | SPA 1 | ITA 2 | FRA 7 | NED 3 | GER 3 | GBR 8 | AUS NC | CZE 6 | IMO NC | CAT 5 | RIO 1 | EUR 2 | 1位 | 220 |
選手データ(オートレース)
- プロフィール
- 選手登録: 2004年7月26日
- 身長: 178.7 cm
- 体重: 65.0 kg
- 血液型: A型
- 趣味: スノーボード、ドライブ
- 戦歴
- 通算優勝回数: 15回
- グレードレース(SG,GI,GII)優勝回数: 2回
- 全国区レース優勝回数: 1回(SG0回、プレミアムカップ1回)
- SG優勝回数: 0回
- GI優勝回数: 2回
- GII優勝回数: 0回
- 受賞歴
- 最優秀新人選手賞: 1回
- 日刊三賞・敢闘賞: 1回
- 日刊三賞・特別賞: 1回
- 日本プロスポーツ大賞・新人賞: 1回
略歴(オートレース)
- 2004年 - オートレースデビュー、オートレース最優秀新人賞
- 2005年 - オートレース新人王
- 2006年 - 日本プロスポーツ大賞オートレース新人賞受賞、日刊スポーツ第30回GIキューポラ杯争奪戦(川口オートレース場)優勝、日刊スポーツ第19回オートレース三賞(敢闘賞)受賞
- 2011年 - GI共同通信社杯プレミアムカップ(浜松オートレース場)優勝
出演
テレビドラマ
CM
関連項目
脚注
外部リンク
- 青木治親 公式ブログ - ウェイバックマシン(2021年6月22日アーカイブ分)
- オートレースネットスタジアム 青木治親プロフィール・戦歴
- 表示
- 編集